ファイバーへの取組み

 豊岡かばんの歴史を語るには、かばん素材の変遷からのアプローチも必用であろう。そこから多くの先人たちの努力が見られる。
 豊岡かばん素材の変遷は、柳の後ファイバー、塩化ビニールレザー、ナイロン、合成皮革、人工皮革と経ている。
 ファイバーかばんは、昭和10年頃、新潟県長岡市の北越製紙などが生産はじめてから本格的に作られだした。それまでのファイバーかばん開発時には、ファイバーの薄いものをドイツ領事館を通してドイツより取り寄せ試作していたとのことである。
 このファイバーを豊岡でかばんに応用しようとしたのが、奥田平治、松本孝、遠藤嘉吉郎などである。その後、宇川安蔵、植村賢輔なども競って研究していた。
 当初は1.2〜1.6ミリの1枚ファイバーで試作に取り組んだがうまくいかず、0.4〜0.25ミリのファイバーを3ミリ程のボール紙に貼り合わせることで成功した。ファイバーは薄ければ薄いほど縮む性質を持っているため、納品時にかばんにソリが入り、商品価値が無くなることもたびたびであった。
 ファイバー素材わは、ファイバーにボール紙を貼り付けてつくったもので、その貼り合わせが最大の難関だった。シートを濡らしてカンバイ粉の糊でねりあわせていたため、問屋に納品後、乾くに従ってかばんがソリ返って商品にならず、やむなく風呂の炊きものにしたという逸話ものこっている。その後、接着剤をニカワに替えたり、牛乳ビンの底を使って底に膨らみをもたせるなどの工夫をしたらしい。
 このファイバーは、傷つきやすく、水に弱かったため、雨に濡れるとフニャフニャになり、「一夜かばん」と言われたこともあった。その後、ニス・ラッカーによって防水を行うなど改良された。
 また、素材そのものは、でこぼこで艶も無かったため、機会で磨いたり(磨きすぎて裏貼りのボール紙が出ることもしばしばあった)、ラッカーの吹きかけ(最初はニス塗りで手間が掛かっていた。)など、さまざまな工夫をし、毎年品評会を開いてその技術を磨いたところである。
 この時期、豊岡で生産していた主なものは杞柳トランク、ファイバーかばんとふとん袋などで、納品先は軍隊が中心であった。特に、このファイバーかばんは、よく売れたため素材も不足がちで、裏貼り用ボール紙に馬の糞を乾かして使っているなどの風耳もでたほどである。










曲げ加工





裁断
裁 断





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