かばん産地の確立

 昭和28年、従来のスーツケースの胴枠を改造し、外型崩れ防止にピアノ線を使用したかばんが生まれた。軽くて強靭であることなど、これまでの欠陥を補っていたので他商品を圧倒した。これを取り入れ昭和31年7月にオープン協会豊岡支部を結成し、オープンケースの生産に全力を注いだ。また、輸出もアメリカを中心に急激なのびを見せ、鞄産業は急上昇した。
 鞄産業は「岩戸景気」(昭和33年〜昭和36年)を背景に昭和35年には昭和30年にくらべ、工業数約2倍、生産高約8倍に躍進した。
 かばんの輸出は昭和43年の最盛期までに年率50%の近い飛躍的な伸びを示した。輸出初期の輸出用オープンケースは、塩化ビニールレザーで製造されたものが多く、一セット十入子が普通で、その仕向地はアメリカ向けが多かった。昭和43年頃には、リネン地柄物オープンケースが主体で84%がアメリカ向けになっていた。
昭和35年5月、輸出用かばんの品質管理のため、財団法人ゴム製品検査協会兵庫検査所豊岡支所を設置し、輸出向けビニール鞄の検査を行い、品質向上に務めた
 昭和39年頃になると、蓋に2本、底に1本ファスナーがあり、容量に応じて3通りの厚みに調整できる、通勤及び旅行かばん「エレガントケース」が作られ、大量生産、大量販売された。
 このため、市外にもかばんの外注加工先が増え、遠く、東は福井県小浜市、西は鳥取県日野郡、南は小野市あたりまで伸び、日本かばんの四大産地の一翼を担うようになった。
 昭和45年後半から内外で需要停滞が顕著になり、特に昭和46年8月以降、ニクソン声明によるアメリカの経済政策の転換、急激な円高、さらにはオイルショックの影響で、輸出は激減した。このため鞄業界も先行き不安が広がったが、原材料を塩化ビニールからジーンズ・キャンバスなど布はく類へ、また、販売先を国内需要切り替えることにより、輸出急減の危機を脱した。

ビニールオープンケース
【昭和31年頃】
ピアノ線で周囲を補強し、ファスナーで三方が開閉できるようにして従来のスーツケースの欠陥を補った。軽く強靭なため、他の商品を圧倒した。



ギンガムチェクオープンケース
【昭和35年頃】
薄地の平織り綿布に格子柄の輸出用オープンケース



エレガントケース【昭和39年頃】
色は黒がほとんどで蓋に2本、底に1本ファスナーがあり、容量に応じて3通りの厚みに調整できる。通勤及び旅行かばん。



羽板付オープンケース
【昭和40年頃】
かばんの本体をベニヤ板で作り、底に羽根部を設けたオープンケース。別名カルテックスとも呼ばれた。