オープンケースと協会の設置
 豊岡産地形成に大きな影響を与えたかばんにオープンケースがある。その販売量は発祥の地である東京をしのいでおり、これにより豊岡が日本かばん四大産地として、不動の地位を確率させたものといっても過言でない。
  従来のスーツケースは、固定的で柔軟性に乏しく、重量に欠陥があり、より軽いものが求められていた。  
  昭和28年頃、東京の渡辺善次郎、寺田宇之助が、従来からの欠陥であった胴枠を金属帯状板に補強溝を設け、周囲にピアノ線で形を整えた、軽量で、強固な胴枠でかばんを作ったのが始まりである 。
  こ の軽量なオープンケースは、塩化ビニールレザー、ファスナーなど素材の品質向上や、飛行機によるあたらしい旅行時代の始まりと相俟って大変な人気となった。  このオープンケースという名前は、当時、野球のオープン戦が大人気であったことと、商品名の語尾に「ン」を付けた物は大ヒットしたという縁起を担いで名付けられたものである。「ン」が付いた商品としては、自動車の「スカイライン」や「クラウン」などがあった 。                        
 昭和31年に実用新案の登録にともない権利者の保護と将来のアイデアの育成に向け、東京でオープン協会が設立された。引き続き、豊岡においても大阪、名古屋と同様に支部を設立し、協会に加盟した。この豊岡支部の加盟については、加盟に否定的であった、オープン協会側を、加鹿実太郎が熱意で説き伏せたといわれている。
  この協会は、昭和31年から10年間運営され、その間、オープンケースの品質の向上や価格の決定、会員章・証票の発行や多くの違反事項などの解決に努めてきた。
 特に、豊岡との関係では、昭和33年、澤井正武がこれまで鉄枠を使用していたオープンケースを、トレンケースなどの木枠にヒントを得て、本体とふた部をベニア板で作り、それらを蝶番で連結して、ふた部の開閉が自由になる羽根板付オープンケースを工夫した。この特許をめぐり、オープン協会との間で訴訟問題が発生したが、昭和39年11月に和解した。
 シールの販売量は、東京を超えていたが、実用新案権利期間の消滅とともに、オープン協会の役目を終え、昭和41年に解散した。