製造工程と機械の導入

かばんの一般的な製造工程として、企画会議ーデザイン作業ー型紙作りー金型作りー裁断ー印刷ー縫製ー仕上げがある。
 この製造工程は、かばんの種類の種類によって異なるが大きく2つに分けることが出来る。かばん、袋物と箱物、枠物であるが、次貢の図に見るように、どちらにも多くの工程が必要である。
 縫製部分の機械化について見ると、当初の手作業的なものから、順次機械化されていった。この工程に必要な機械としては、裁断機、縫製ミシンなどがある。
 当初、縫製ミシンは、装飾用の家庭用ミシンが使われていたが、ファイバーかばん時代は、半回転ミシンで鞄の内張り部分を縫っていた。これは、回転数が遅く、送り方法は下送りのみであった。
 その後、昭和30年頃まで、家庭用を工業用に改良し、従来よりも回転速度が、早くなったミシンが一般に使われるようになった。
 昭和38年頃は、速度が2倍近くなったミシンが普及し初め、昭和39年頃には、ドイツ製のモナエス社のミシンが箱物に使用され、それまでビョウ打ちしていたベニヤと生地を、一緒に縫うことができるようになった。
 昭和40年頃、外注加工先にも、送り方法が上下送りとなった家庭用と工業用の中間的ミシンが普及し、かばんの生産量が増えた。また、この頃から、ミシンの押さえ金が、金属からテフロ製のものを使うようになり、縫合せ部分のシワの発生が少なくなった。昭和45年頃からは、ほとんどテフロン製の押さえ金が使用されている。
 昭和58年頃、かばんのファッション化にともない、かばんに付属部分が多くつき、また、縫い型も単なる直線から微妙な曲線縫いが求められるようになった。このため、コンピューターミシンが、導入され、このニーズに応えることができた。
 なお、特殊縫いのミシンとしては、深い袋が縫製できる長い腕を持ったキャディーバック縫製用や、はじめに穴を切り縁縫いを行うボタン付け用ミシンなどがある。
 また、昭和42年頃、自動ビョウ打機が普及し始めた。
 材料の裁断は、木製の副木をあて、裁断包丁を使った手作業のよる方法が多かったが、昭和35年頃、オープンケースの輸出が盛んになるにつれ自動裁断機が導入され出した。さらに、付属部品が付けられだしてからは、刃型を使った裁断が手動で行われていた。
 昭和42年頃、型抜き用のプレス機が普及し始めたが、刃型の製作はまだ大阪などに発注していた。
 昭和47年頃、豊岡でも専門的に刃型が作られるようになった。

大正6年頃縫製に使用した家庭用ミシン




同時にベニヤと生地を縫製できるテラノバ(モエナス社)




自動裁断機




キャディバック長腕ミシン




コンピューターミシン